「チャレンジャーキャンプスタッフの恵み」 K・Mさん

 私は昨年キャンパーを卒業して,初めてスタッフとして参加させていただきました。スタッフとしての役割ができなかったらどうしようかと少し不安な気持ちで,チャレンジャーキャンプが始まりました。 

 しかし,実際にキャンプが始まると,久しぶりに会うキャンパーやスタッフ,そして初めて会ったキャンパーの子たちとも仲良くなることができました。また,スタッフをしてみて,キャンパーの時には見えなかった部分やキャンプの裏側を見ることができました。夜遅くまで行っていたスタッフミーティング,昨年から1年かけて準備してくださった事務局のスタッフの方など,他にもたくさんのスタッフの方がチャレンジャーキャンプに仕えて,賜物を活かし奉仕してくださっているから,こうして楽しいキャンプができていることを知ることができました。同時に,自分がキャンパーの時は大変お世話になったことを改めてスタッフの方と神様に感謝です。

 キャンプに仕える先輩スタッフを見て,私も何かできることはないかとかんがえましたが,楽器の演奏やゲームを盛り上げる進行役のような賜物はもっていないので,キャンパーに積極的に話しかけたり,一緒になって楽しんだり交わりを持つことなら私にもできると思い,多くのキャンパーとかかわりを持つことを意識しました。実践してみると,目が合った時に手を振ってくれたり,キャンパーの子たちから話しかけてくれたりということがあってとても嬉しかったです。キャンプ中にカウンセリングというものがあり,私とカウンセリングをしたいと言ってくれた子がいたことも嬉しかったです。

 キャンパーが本当に楽しそうにしている姿を見て,これがスタッフとしての恵みだと感じました。また,キャンパーだった頃よりも今年はたくさんの恵みを神様からいただきました。

 私自身,スタッフとしてまだまだ未熟で足りないところだらけですが,できることを少しずつでも増やしていけたらと思っているので,来年も参加したいと思っています。


「神様を信じて生きていく」(成人祝福式) Y・Aさん

 私はクリスチャンホームに生まれました。生まれて間もないころから、この教会に通っています。祖母がY家の初代クリスチャンなので、私で三代目になります。小さな頃から毎週日曜日は教会に集い、夕方近くまでこの教会で遊んでいました。私にとってこの松原聖書教会は第二の我が家で、私にとってかけがえのない存在です。

 

 記憶にはあまりないのですが、プリスクール時代から教会員のスタッフの方々に関わっていただき、Joy Family幼稚園、Jkids、中高科とこの年になるまでずっと育てて頂きました。私は今、中高科のスタッフをしているのですが、スタッフの立場になって初めて、今まで私がどれだけの人に想われ、愛され、祈られ、自分の子どものように大切に育ててもらっていたのかを知りました。当時の私にとってはそれが当たり前のように感じていましたが、それは当たり前なことではなく、家以外にも私を理解してくれる居場所があったことで、今まで何度も助けられました。

 私にとって一番思い出深いのは、中高生時代です。それは、神様と自分との関係をじっくりと考えるきっかけが与えられたからです。今まで何の疑いもなく、神様の存在を信じていたし、クリスチャンとしての誇りを持っていたのですが、中学生に上がった頃から、毎週教会に行く意味や神様の存在に疑問を持つようになりました。私は神様がいるものだとずっと信じていたけど、実際に会ったことはないし、正直信じているならなんで教会に行く必要があるのかな、などと考えるようになりました。私は親から受け継いだ信仰のことを「植え付けの信仰」と呼んでいるのですが、当時、自分自身で神様に出会った確信や信じるきっかけになった神体験などがなかった私は、名ばかりクリスチャンなのではないかと、不安や恥ずかしさを感じていました。

 それでも、私が教会から離れることなく、繋がり続けられたのは、中高科とスタッフの存在でした。中高科のスタッフはいつだって、不完全な私を受け入れてくれ、どんな小さな悩みにも耳を傾けて話を聞いてくれました。当時は、思春期だったこともあり、親には相談できないこともたくさん相談にのってもらいました。その時の安心感は今でも忘れません。

 また、私には沢山の同級生が与えられていたことが恵みでした。教会や学校生活の悩みから、何でもないことまで話せる仲間に出会え、中高生時代はその仲間に会うためだけに、教会に通っていた時期もありました。当時は悩み事ばかりしているような私でしたが、その時間は私にとって、とても意味のある時間でした。

 

 大学にあがってから、「植え付けの信仰」が、確信をもって「自分の信仰」といえるものに変わる出来事がありました。それが就職活動です。私は子どもに関わる仕事に就きたいと、幼児教育を学ぶ短大に通い始めたのですが、幼稚園実習で心がくじけ、子どもに関わる仕事に就くことに大きな不安を感じていました。卒業後の自分が見えない怖さと自分の弱さと闘いながら、一時期は一般就職を考えたり、両親や親族、就職担当の先生に「就職せずに生きていくにはどうしたらいいか」などと真剣に相談したりしていました。おそらく両親は内心ひやひやしていたと思うのですが、何度も「本気で神様に祈ってごらん。」と背中を押してもらい、やっと神様に向き合う決心がつきました。

 祈ってもどうにもならないと思っていた私の代わりに、裏で両親や親族、教会の仲間たちが自分のことのように祈ってくれていたことを知ったとき、いつの間にか、自分の力でどうにかしようと、自己中心的に考えていた自分自身の罪に気づかされました。

 その後、就職担当の先生にダメもとで受けてごらんと紹介してもらった保育士採用試験を受けるチャレンジをしました。結果は合格でした。その時初めて、神様が私にこの道を信じて歩めとしるしを与えてくれたのだと思いました。今まで不安に感じていたことも、神様が背中を押してくれるなら、私は何も不安を感じる必要はないのだなと思いました。本当に神様っているんだ、と確信した瞬間でした。

 

 この20年間を振り返ると、いつもそこに神様がいてくれたのだと思います。いつだって私のことを一番に愛してくれ、味方でいてくれた両親に心から感謝します。私はこれから、いろんな困難や試練に立ち向かうことがあっても、神様を信じて強く生きていこうと思います。

 

 

 今の私には、夢が与えられています。私が、神様から、両親をはじめ家族のみんな、教会の方々から大きな愛を受けたように、私も、これから出会う子どもたちにその愛を、注いでいくことです。


「家族で、神様とともに歩む 」(献児式)  S・Yさん

 平成30年12月6日、3084グラムの元気な女の子を出産しました。そして今月で生後9ヶ月を迎え、ハイハイもできるようになり、成長していくことに嬉しさとちょっぴり寂しさを感じています。

 今回証を書くにあたり、妊娠と出産を振り返ってみました。妊娠期間は至って順調で、つわりも最初の2.3ヶ月に少しあったぐらいでしたので、仕事も産休に入る10月末までしっかり働くことができました。

 12月6日は予定日の前日で、午前中に妊婦検診がありました。1ヶ月前から毎週行なっていた胎児の心エコーで、赤ちゃんの心拍が時折弱くなることが判明し、経過観察目的で急遽入院することになりました。ちなみにこの時は陣痛はまだで、たまにちょっと痛いかなという程度でした。主人は仕事を昼から休んで病院に来てくれました。先生からは「このまま心拍が弱いのが続くと出産時に赤ちゃんが危ないので、帝王切開になるかもしれない」と説明されました。私はそれまで順調にマタニティライフを送ってきていたので、突然のことに不安を覚え、牧場にも祈祷課題として祈ってもらい、自分でも神様を信じ委ねられるよう祈りました。胎児心エコーの装置をつけたまま5時間ほど時間が経った頃、先生から「一時的なものみたいだったのできっと大丈夫、予定通り自然分娩でいきましょう」と言われました。祈りが聞かれたと心から嬉しく思い、感謝でした。

 その後は一旦退院になるかなと思っていましたが、あれよあれよと陣痛が始まり、人生で一番の痛みを経験し、6日夜の20時51分に娘は誕生しました。本格的な陣痛が始まってからは6時間、分娩台に上がってから20分という、助産師さんにも初産なのにと驚かれるほどのスピード出産でした。主人も一緒になって痛がってくれたり、腰をさすってくれたり、声かけして励ましてくれたり、たくさんサポートしてくれました。一人では絶対乗り越えられなかったと思います。産まれた瞬間は自分が親になるということの責任と喜びを同時に感じ、生まれてきてくれたことにありがとうと愛しい気持ちが溢れ、なんとも言えない感情になりました。また、人間を創られた神様って本当にすごい方だと改めて思いました。

 娘の名前はMです。心優しく、周りの人に癒やしを与えられるような人に、魅力溢れる人になってほしいとの思いで名付けました。

産後は初めての育児に戸惑ったり、思うようにいかなくて疲れたりする時もありますが、その倍以上楽しいことも嬉しいこともあって、育児を通して私自身も日々成長させてもらっています。それに教会には頼れる先輩ママ方がたくさんいて、牧場という、話を聞いてもらえて祈ることができる居場所があって本当に感謝です。これからも家族みんなで神様と共に歩んでいきたいです。

 

 最後になりましたが、私の妊娠・出産のためにたくさんのお祈りと、具体的なご支援も本当にありがとうございました。3人になったS家をこれからもどうぞ可愛がってくだい。ありがとうございました。


「両親に感謝」(成人祝福式) S・Mさん

 私は1998年に生まれて早20年が経ちました。

この20年間、教会では幼児園を始め、ダンス、ソフトボールなどいろいろなことを経験してきましたが、それはどれも、両親が教会に繋がっていてくれたから、また教会にいろいろな賜物を持った方々がいるからこそできたことでした。

私は小中高とあまり深い人間関係を持たなかったのですが、教会の同世代の人たちとは小さい頃からすごく仲が良く、どんなことでも話すことができました。

 

 私は、好きなことはものすごく没頭し、嫌いなことは一切やりたくない性格で、両親にはすごく迷惑をかけたと思います。しかし、両親は私のことを常に考えていてくれ、好きなことに関しては、私が満足するまでしっかりと支えてくれました。中学生の頃テーマパークにハマり、なかなかお金がかかることですが、週1回という約束で毎週行かせてくれたのは本当にすごいことだなと思います。

嫌いなことに関しては、どうやったら嫌いなことをできるだけせずに過ごせるのか、一緒に考えてくれました。また、学校・職場での悩みもよく聞いてくれ、的確にアドバイスをくれるので、1人で抱え込むことがなく、気持ち的にもすごく楽になりました。

 こんなに良い環境で成長していくことができ、両親にはすごく感謝していますし、すごく尊敬しています。

 

教会生活は、高校卒業後から週5で仕事になり、土曜日は終電間際で帰宅することが多く、日曜日の朝なかなか起きることができなかったり、こんなに毎週疲れているのに日曜の朝早く起きないといけないなんて無理と思うこともあり、主日礼拝をおろそかになってしまうことがありました。

転機がきたのは昨年の9月末のことです。人生で初めて一人暮らしを始めました。毎週日曜日に松原へ帰る約束で、引越し前は面倒くさいなと思っていましたがいざ、1人での生活は思っていた以上に寂しく、毎週実家に帰るのが楽しみになっていました。そのため、教会にも毎週しっかりと行くことができるようになりました。一人暮らしは教会から離れてしまいがちですが、私にとってはそれが良い機会になりました。

 

20歳になり成人になりましたがあまり実感はありません。これからもテーマパークで社員になれるように頑張っていきます。社員までの階段を登っていくごとに、職業柄日曜日の休みはなかなか取れなくなってしまうかもしれませんが、ずっと神様とつながり続けようと思います。

 

まだまだ未熟な私ですがこれからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

 


「父との思い出」(召天者記念礼拝) F・Yさん

私の父は、2017年8月に生涯の幕を閉じました。66歳でした。本当に別れはつらいものですが、父の死を前向きに受け止め、父への感謝の気持ちを持ちながら毎日の生活を送っています。

 今日は私の父の自慢をさせていただこうと思います。普段なら親の自慢をすることはまずありえませんが、今日は思いっきりさせていただきます。良い意味でも悪い意味でもですが。

 父は一言で言うと昭和の酒飲みの頑固親父でした。仕事から帰るといつも定位置に座り、風呂とトイレ以外はその位置から動くことはありませんでした。父のことは全て母が行いました。そして怒るとちゃぶ台返しをしたり、夜中に母の泣き声が聞こえるので起きると父がバットでガラスを割っていたり、悪いことをすれば容赦なくどつかれていました。そんな父と向き合う中で、母の存在は私にとって非常に大きな存在でした。ちなみに母は49歳で亡くなりましたが、本当に母の死で私は成長し、家族の絆は深まりました。

 さんざん父の悪行の話をしましたが、やはり私にとっては尊敬のできる面もたくさんありました。一番尊敬し、私に影響を与えたことは仕事の面でした。父は自動車のディーラーとして働いていました。父の残してきた功績は今考えるとすごいものでした。年間販売台数で全国の表彰社員に選ばれるだけですごいのですが、父はその年間表彰を10回獲得しプラチナ会員という名誉を得ました。そのときの総販売台数は3000台以上であった気がします。1年間営業成績を上げ続けることがどれだけしんどいか、そしてそれを10年以上やってのけた父のすごさ、血のにじむような努力が、今証券会社で営業をしている私は社会人になってから分かりました。だから私は何度も辞めようと思った今の仕事を辞めません。それは言葉では語ることのなかった父の営業に対する姿勢、思い、実績を超えたいと思うからです。私も父のようにいつか子どもに背中で語りかけることができるような父親になりたいと思います。

 そんな仕事一筋の父でしたが、2016年2月に肺癌が発覚し、私たち夫婦の結婚式の翌日から闘病生活が始まりました。父は今までにも胃と腸に癌が見つかり手術をしてきましたが、早期発見のため大事には至りませんでした。だから今回も大丈夫だ、と楽観的に捉えようとしていた私でしたが、肺癌の摘出手術をした数か月後に再発が分かり本当にショックでした。そしていつからかは忘れましたが、父が「Yの子どもを抱くまでは俺は死なへん」と言い出しました。幸いにも私たちは待望の赤ちゃんを授かり出産予定日は7月初旬でした。そんな中父は再再発が発覚し、今年の1月から治療を行いましたが、この治療に効果が見られない場合は助からないという残酷な現実でした。そして2月に効果が見られず、その治療の副作用が命を奪う危険性も出てきたために治療は打ち切りとなりました。そして医者から早ければ5月にも命を亡くす可能性もあるという説明を受けました。でも父は言うんです。「孫を見るまでは死なん、頑張る」と。一番辛いはずの父が本当にたくましく見えました。そしてその日以降父と飲みに行ったり、東京に行ったり、いろんな思い出作りをしました。本当に父が数か月後に亡くなるなんて想像することはできませんでした。

 気付けば5月を迎えていました。いつも会うたびに孫を見ると言って自分を奮い立たせていた父。父にとって生きる最後の意味は孫を見ることだったと思います。そんな中待望の息子が7月初めに生まれました。生まれたその日の夜に入院している父にビデオを見せに行くと、力一杯泣きながら喜んでくれました。そして見るだけでなく息子を抱いてもらうことが新たな目標となりました。

 そして8月初めに父は孫と待望の対面をはたすことができました。その日のことは一生忘れません。父は孫を抱き、薄れゆく意識の中で喜びを表現してくれました。多くの人に祈ってもらったおかげで迎えることができたことを本当に感謝しています。予定日よりも早く生まれてきてくれた息子、一度は意識がなくなった父が意識を回復したこと、全てが奇跡的で祈りがきかれた瞬間でした。

 その4日後に父は静かに息を引き取りました。父の最後の夢が叶ったことは本当に神体験でした。時には嫌いであったりもした父でしたが、本当に多くのことを父から学びました。父と母から学んだことを生かし成長し続けたいと思います。そして本当に親父今まで育ててくれてありがとう。