「神様に助けを求める」  K・Yさん

   今から6年ほど前、息子が心の病を患ったとき、娘のMは私たち夫婦を支えてくれ、何とか良くなるようにと力を尽くしてくれました。そしてその後、息子の様子も落ち着いて仕事もできるようになってしばらくしてから、今度は娘Mがうつ病を発症しました。それが5年ほど前でした。 そんな彼女を見て、今度は私がヘルプしようと思い、治るまで教会に付いて行こうと決めました。

 

 ところがしばらくして、会堂で座ることも出来なくなり、4階のゲストルームで横になりながらの礼拝となりました。フラフラしながらやっと着いて、牧師先生のメッセージを聞いて、そして帰る。家の教会が始まり、教会の近くのKさんのお家に行くのも、夫が送り迎えの日々が続きました。「何でそこまでして教会に行くのか?」と、夫とふたり不思議に思っていました。

 

  その後、うつ病の奥に潜んでいた摂食障害が顔を出し始め、彼女は過食症に苦しむ毎日となりました。毎日苦しい思いで過ごす彼女は、落ち込むことがまた多くなり、つらい日々を過ごすようになりました。その都度、「ありのままで、良いねん」と慰め続ける私も、ついに疲れ果て、眠れない日が多くなりました。少し良くなっては悪くなる、行きつ戻りつの毎日に、とうとう責めるような言葉を言ってしまいました。彼女はそのせいで一生懸命我慢していた心の堰が一挙に崩れ、またひどい状態となりました。 ついに「もうあかん!これ以上は無理、神様助けて!」と叫びました。自分の力で娘を助けることができる、と思っていたわけでは決してなかったのですが、後で思えば自分の自我が砕かれた瞬間でした。

 

  そして翌日の礼拝日、牧師先生に「入信する」ことの決心を告げました。最初、おととしの夏に始めた「聖書の学び」は、無神論者の私には、プレッシャーばかりを感じて、いざクリスチャンになってという気持ちがどこか遠くて、その年の冬に挫折していました。その「神などいない」と思っていた私が、「神様、助けてください」と叫んだのです。罪にもいろいろありますが、私の場合、私に命と人生を与えてくださった創造主なる神様を無視し、自分の力で生きている、と思っていたことでした。 そして、牧師夫人との「学び」を再開しました。信仰告白のとき、自分の全ての罪を言い表し、お祈りをしました。すると、私の心の中に、とっても穏やかで、素直な気持ちが芽生えたのです。イエス様は私の罪のために死んでくださった。ご聖霊を送ってくださった神様を信じてみよう、と思ったのです。自分がクリスチャンになっていくイメージがなかなか湧かないのですが、遅くではありますが、ゆっくりと一歩ずつ、教会員として成長していけるよう見守っていただけたらと、思っています。

  教会の皆さまには優しく接してくださって、また見守ってくださって、ありがとうございました。そして最後に、クリスチャンになることを許してくれる夫と息子に感謝します。


「イエス様にゆだねる」  F・Yさん

    私が教会に来るようになったきっかけは、Oさんに誘われたことでした。信仰とは無縁の私でしたが、牧師先生のご好意で学びをしていただくことになりました。その時、私は正直何も考えておらず、「まあ話くらい聞いてもええか。」という思いでした。

 

 私は、今年31歳で証券会社で営業をしています。社会人9年目となりますが、社会人生活の中で、正直心がすさんでいました。形のないリスク商品を販売するという仕事の中で、営業成績とお客様と向き合うことでどんどんひどくなりました。しかし、昔からの負けず嫌いという性格と、なおかつ今まで会社でお世話になった尊敬する人たちのことを思うと、立ち止まることはできませんでした。そんな時よく考えたことは、会社の入り口に入ったその瞬間から帰るまで「人間でいることをやめよう。俺は機械という鬼になる。」ということでした。このよくわからない精神論だけが自分の心の支えで、仕事中に感情にとらわれることをやめました。

 

 こんな私ですから、当然学びの最初の頃は、「神様がいるとかいないとかどっちでもいい。神様に感謝するってどういうことやねん。自分の道は自分で切り開くもんやし、助けを求める意味がわからん。」って正直思っていました。しかし、牧師先生は、いつも熱心に学びをしてくださるので、気が付くと質問しているようになっていました。さらに学びが進む中で、「なんで。」と疑問を抱くよりも「なるほど。」と納得することが多くなりました。そして、ふと思ったんです。聖書に書かれていることを素直に受け止めよう。イエス様を信じて身を委ねてみよう、と。自分でも不思議で仕方がなかったのですが、これこそがご聖霊の働きであると確信しました。心のすさんだ私が、仕事以外のことで人に教えられたことを素直に受け止め信じるということは、本当に初めてでした。

 

 イエス様を信じ、すぐに今までの罪を書き出しました。書き出してみると本当に恐ろしいほどの大量の罪となりました。仕事に関することで「仕事だから仕方がない」と思っていたことを、素直になって全て罪であったと認めてお詫びしました。すると、信じられないほど気持ちが楽になりました。イエス様によって赦された結果、私のすさんだ心があっという間に澄んだ心になっていきました。とは言え、仕事柄、日々葛藤の多い毎日ですが、イエス様にあって整えられていきたいと願っています。

 

 信仰とは無縁だった私が、イエス様を信じたことで多くのことが与えられたと思います。日々与えられたことに感謝し、お願いするだけではなく、自分が行うことができる奉仕についても考えていきたいと思います。まだまだ信仰の浅い未熟者ですが、これからもよろしくお願いします。


「神様との出会いに感謝」  T・Hさん

  私が松原聖書教会に初めて来たのは2001年、孫の献児式でした。その節には、野口先生御夫妻に大変お世話になり有難うございました。

 教会で妻がフラダンスを習うようになり、発表会を見に行きました。皆さんの踊る姿を見て、感動したのを覚えています。

 

  そして、妻がS牧場に行くようになり、誘ってくれましたが、その時、私は行く気持ちがなかったので送るだけでした。帰る時はMさんが送って下さり、感謝しています。いつも帰りぎわに牧者夫人が声をかけてくださり、私は悪いと思い、月1回参加するようになりました。牧場のみなさんが心から喜んで私を迎えてくださり嬉しく思いました。牧場の交わり、日々の証しを聞き、大変な状況の中でも、なぜ前向きになれるのだろうと思っていました。何回か行くようになって、私も牧場での交わりで心を開くようになりました。喜びとなり私の居場所を見つけました。妻が声をかけてくれたから、一緒に行く事が出来感謝しています。

 

  マリッジセミナーに、牧者夫妻から「一緒に行きませんか」と声をかけられ参加しました。1回目は緊張しましたが、2回目からは少しリラックスできました。

  学んでいくうちに、私達夫婦にとって、お互いをよく知る事で、結婚生活を振り返り、夫婦の絆を深める事が出来ました。結婚当初よりも、今は充実した日々を過ごしています。各牧場の御夫妻の証しと、おいしい料理、雰囲気も良く、楽しく過ごす事が出来、お世話になり有難う御座いました。

 

   聖書の学びでは、野口先生御夫妻が、お忙しい中、私の学びの為に時間を取って下さいました。妻も学びを受けてくれて感謝しています。学びの前に、私の緊張をほぐして下さり、私のレベルに合わせて、わかりやすく愛と忍耐を持って学びをして下さいました。

   学びを受けながら、はじめは神様がおられるとは、本当に信じられませんでしたが、学びを受けている間に、少しずつ神様がおられることがわかってきました。

   そこである時、「私は、神様に喜ばれない生き方をしてきた罪人です。イエス様が、私の罪のために、十字架で死んで下さり、3日目に死からよみがえって、復活して下さったことを信じます。」と信仰告白しました。

 

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』 (使徒16:31)

これからは、神様に喜ばれるために、与えて下さった賜物を、用いられたいと願っています。

 

 私の救いの為に、野口先生御夫妻をはじめ、S牧場の皆様、教会の皆様に、貴重な時間を捧げていただき、お祈りして下さったことを、心から感謝申し上げます。 これからもよろしくお願いいたします。


「イエス様に変えられた」  N・Aさん

 私はキリスト教やイエス・キリストのことは高校までの授業で学んだことしかなく、この松原聖書教会に来るまでキリスト教に接することがありませんでした。あるとすれば、駅前で聖書のことを布教しているところを見たくらいです。私の家族・親戚や周囲の人にもクリスチャンがいなかった、いたとしてもクリスチャンだと知らなかったため、キリスト教やイエス・キリストのことを知る由もありませんでした。

 キリスト教やイエス・キリストのことをしっかりと認識したきっかけは、私の交際相手がクリスチャンであったことです。私の家は仏教ですが、彼女がクリスチャンだから付き合うことがだめということは、私も家族も思うことがありませんでした。ただ、彼女を深く知るためにはキリスト教のことを知る必要があると思い、彼女からの誘いを待ち、この教会に来ました。

 

 私は、就職してからは自分の体や心をあまり顧みず、相手のことや仕事のことに気をかけ過ぎていました。自分の性格的に、人には頼られたい・世話をしたい気持ちはありますが、いざ自分のことになると人を頼らないところがあります。人を頼らず、相談も少なく、独りよがりで物事を解決しようとしていました。自分でも知らないうちに心の余裕がなくなっていたと、今では感じています。

 現在、理学療法士として仕事をしていますが、患者さんをよくするため、一人では解決できないことが多々あります。人を頼らずに独りよがりでいた結果、無理が重なり、昨年はインフルエンザ・脱水症・肺炎などで2回倒れ、そのうち1回は1週間ほど入院しました。あとで考えてみると、神様が「今のままではだめだ。体と心を休めなさい。そしてもっと余裕のある心で物事に取り組み、考えなさい。」とおっしゃっていたんだと思い、そのときにイエス様が私の心にもいてくださっていると感じました。

 

 松原聖書教会に初めて来たのが昨年の10月で、12月から彼女とともにキリスト教や聖書に関して、牧師先生から学びを受けてきました。気づかないうちに心に余裕がなくなっていたことも、この学びの中で認識しました。また、学びの中で驚いたことが一つあります。それは、私がすでに聖書に書いてあることを実行していたことでした。私は自分よりも相手のことを第一と考えて生きてきました。学生時代も今も、自分だけで良しとはせず、良かったこと・勉強したことを周囲の人にも教え、自他共に研鑽していくようにしていました。ただただ世話好きでお節介野郎なだけかもしれませんが、ある意味ではこれも隣人を愛することになるのではないかと思いました。

エペソ1章4・5節にあるように、「世界の基に置かれる前から、私をイエス・キリストのうちに真の神様が選んでくださった」からだと学びました。このときから人生の救い主・心の支え主であるイエス様を本当に信じるようになりました。

 

 

 イエス様を信じるようになってから、気持ちに余裕が生まれ、仕事でも生活でもしんどくなる前に頼るようになりました。自分で出来ることはして、出来ないことや意見等がほしいときは上司・同僚に相談するようになりました。以前はよく体調を崩していましたが、今は肉体的にも精神的にも無理をしないようになり、体調を崩すことが激減し、毎年かかっていたインフルエンザにもかからなくなりました。また、体や心に余裕をもって仕事にも生活にも取り組めるようになってきました。これがイエス様を信じたからなのかはまだわかりませんが、少なくとも私の心にはイエス様がおられて、本当に神様はいらっしゃるんだと感じています。


「多くの恵みの中で」 M・Sさん

    私が主から与えられた恵みはなんと多いものかと想いをめぐらせると、なかなかまとまらず焦りました。そんな多くの恵みを整理する中で、あえて大きく分類するならば、私の場合は家族・信仰・仕事といったところかと思います。その中でも、まず私を知っていただくにも、この松原聖書教会へ導かれたことをお証しするにも、家族を通して主が恵んでくださったことの一部を紹介させていただこうと思います。

 私の両親はクリスチャンです。父は高校生の頃に友人の誘いで牧師がいない小さな家庭集会へと導かれ、クリスチャンとなりました。その後、様々な紆余曲折の信仰生活の歩みの中で、母がいたバプテスト教会へと導かれ、互いの両親の反対をも乗り越え結婚しました。母の両親もクリスチャンでした。ですが、母が小学生の頃に父親のアルコールの問題が原因で両親が離婚。一時は教会から離れていましたが、大学生の頃に再び教会へと導かれ、私の父と知り合うこととなりました。

 

 そんな両親のもとに3人兄弟の長女として私は生まれました。結婚当初の父はまだ駆け出しの銀行員で、慣れない生活の中でも朝の6時ごろには出勤し、深夜の12時~1時の帰宅は当たり前。週末は、書斎からほとんど出てこないで仕事の勉強をしているか、接待。日曜も礼拝後は書斎でずっと勉強をしているというような生活を送っていました。そんなかいもあってか、父は順調に出世していきましたが、どんどんとストレスも高くなっていくのを、子どもながらに感じていました。父とたまに顔を合わせると、食事のマナーや勉強の仕方などよく叱られていました。時折、深夜に帰ってきた父に突然たたき起こされ、何を叱られているかもわからないまま押入に入れられたり、外に出されたりすることもありました。今なら仕事のストレスに子育てのプレッシャーなど理解できることもありますが、当時の私には“お父さん”というより、ただただ“怖い人”でした。

 母は母で、2人目の妹が生まれたあたりから特に不安定になることが増え始め、今から思うと育児ノイローゼのような状態だったのかもしれません。時々感情が爆発してしまうことがありました。普段はとても優しい母ですが、なかなか人に頼ることができず、いつもひとりでなんとか頑張ろうとするのですが、限界がきてしまうと子ども達に感情をぶつけてしまうことも多かったように思います。

 父も母もその都度言うことがばらばらで、振り回されるような生活が思春期ごろまで続きました。ただ、そんな状況においても両親は礼拝に集うことだけは続け、大切にしていました。 そんな環境の中、私はいつしか「自分なんて消えてしまえばいいのに」「時間が巻き戻って、自分の存在がなかったことになればいいのに」という考えに埋め尽くされるようになっていきました。両親からの愛情は感じてはいたので、自分が両親の期待に応えられないから両親を怒らせてしまうのではないか?自分が両親を苦しめているのではないか?という罪悪感が募っていきました。けれども、父も母も大嫌いだという矛盾した気持ちも湧き上がってきました。また、明日はどうなるのだろうという不安感など、様々な感情が混在するようになっていきました。自分でも自分がどうなっているのかわからなくなり、混乱したりイライラしたり、落ち込んだりと不安定な状態へと陥っていきました。そんなイライラを下の妹や弟にぶつけてしまう時もあり、その後に襲ってくる自己嫌悪からも抜け出せないでいました。家にいることが一番苦しかったです。

 

 そんな状況の中、両親からの影響だけではなく、自分自身の思考が内向的だったこともあって、自分の存在価値や意義を見出せず、自己肯定感を持つことが出来なかった私は、幼い頃からわらをもすがる思いで教会に通っていました。しかし、どこか両親への嫌悪感が、両親の信じるキリスト教への嫌悪感とも結びつき「イエスさまのためと言いながら、大人は自分のために信じているだけだろう」という反発心も混在するという葛藤の中で通っていました。しかし、そんな疑いを持ちながらでも、人間には不可能な、相対的でない、絶対的なイエス・キリストの愛がなければ生きていけなかった私を、イエスさまは「それでもいい」と一方的に招いてくださいました。

 その背景には、当時はわからなかったのですが、両親やいろいろな方の祈りがあったと思います。特に、反抗的な態度をとるもなぜか毎週通ってくるという不思議だった私に、ずっと忍耐強く付き合ってくださったCSクラスの先生方の祈りがあったと思います。そして、そんな先生方によってバイブルキャンプに参加でき、そこで初めて信仰の友人ができたり、メッセージの意味が少し理解できたりなど、多くのことを通して主は私を励まし、愛を示してくださいました。

 中学2年生の頃、仕事にひたすら邁進していた父がガンとなりました。すぐに手術をすることになった父に「大丈夫なん?」と声をかけると「あかんかったら天国行くやろ~」とえらく普通に言われました。あまりにも自然だったので、こちらも拍子抜けしたワンシーンを今もよく覚えています。そのとき私は、お父さんって“やっぱりクリスチャンやったんやぁ”と実感しました。父の入院中は心配する気持ちも勿論ありましたが、会いたくないという気持ちの方が勝ってしまい、一度もお見舞いに行きませんでした。父は父で、入院中にこれまでの人生を振りかえり、もしまだこの世に遣わされているなら、以前から祈っていた御心に添った働きについて示されるよう、毎日1日中祈っていたそうです。

 無事に退院できた父は、脱サラをしました。母は経済的な不安がとても強く、反対していましたが、私はそれを聞いて正直ほっとしました。これは私たち家族に与えてくださった導きだと主に感謝しました。

 それから私はすぐに高校受験となり、母の不安は強くなってしまい、進学には気を遣うこともありました。が、脱サラし学習塾を始めた父は徐々に変えられていき、経済的にも主は守ってくださいました。そして、高校2年生の17歳のクリスマスに私は受洗しました。

 

 今、この私の家族はクリスチャンとしてそれぞれの信仰生活を送っています。家族で祈ったこともありませんでしたが、兄弟3人も主に救っていただきました。よく教会からも離れずにこれたなぁと心底思うこともあります。こんなんでもクリスチャン一家。でもクリ一家です。主はこんなんでも、それでもなお私たちを招き導き、それでもなお愛してくださいました。欠けも多い家族ですが、だからこそこれほどまでに一方的に恵み、愛してもらっている家族だと、そこだけは胸を張って言えます。

 もちろんまだまだ課題もある家族です。それでも、私が家を出てから徐々に幼かったころに抱いていた父への想いを伝えることができるようになりました。父も色々と反省し、これまでどんな想いで幼い頃の私や家族に接してきたか、仕事への姿勢なども色々と教えてくれるようになりました。私も当時はわからなかったことを多く知り、また共感でき、今はやはり主を見上げ続けてきた両親を心から尊敬しています。父とは今では信仰のことや家族のことなど色々な相談ができるまでの関係になれました。これは私の力では出来なかったことです。

 

 こんな幼い頃からの自分の経験から、結婚なんてそら恐ろしいことは考えることもできなかったですし、不安や恐怖が先に立ち、望むことすらできなかったような私が、まさかの結婚を今年の春にはすることができました。私にとっては驚異的な恵みです。まさにアメージンググレースです。  これまで私は家族とは一体何なのか?なぜ神さまはこのような方法を私たち人間に与えられたのか?これはなにかの試練なのか?と、ずっと自分の中の問いとして、またひっかかりとしてありました。

 しかし、私の過度な自己否定感や自己憐憫の罪も、懸命だったけれど間違いもあった両親の歩みも、本当に全て、それら全部すっかりイエスさまが十字架にかけてくださったんだとわかった時、そのひっかかりにも癒しがあり、私も家族もまた再び新しくされていくんだという希望が与えられました。

「神さまはアダムを創ったのち、助け手が必要だと人間を思いやってイブを創られました。」

創世記2章18節

 家族とは、本当は試練でもないし、意地悪で主はこのようにしたのではないのです。私を思いやり、助け導き、栄光へと招くため、喜びをもたらすために与えてくださっていたのだということがやっと分かりました。その時、私は結婚へと踏み出すことができました。  主は人を助け手が必要なものとして創られました。主とつながってさえいれば、もうそれだけでいいんだと、すぐに自分の殻に逃げ込んでしまっていた私でしたが、関係性の中にも祝福や喜びをもたらしてくださるんだなぁと今は感じています。

 

 実家にいる時は、私は弟にもイライラをよくぶつけていましたが、そんな弟がこの松原聖書教会を教えてくれました。そして、あれやこれやとぐちゃぐちゃ考えたり、自己憐憫に陥っていたりした自分がやっと「家族は喜びなんだと」はっきりと言えるようになったとき、このジョイファミリーチャーチに導かれました。松原に来て最初に思ったのは、「週報におもいっきり“ジョイファミリー”って書いているやん!」ってことでした。

 「家族は喜びや」とわかったとか言っている私ですが、教会を探し始めるまでは色んな理由をつけて毎週礼拝を守ることが出来なかったり、結婚によって私が集っていた教会に通うのか夫の教会に通うのか決めかねていたりと、教会にはなかなか根を下ろせずにいました。ですから、結婚を期に「教会を通してしっかりイエスさまにつながっていける教会へと導いてください」と祈り始めました。そんな時に出会ったのが松原聖書教会でした。

 主は多くの恵みを通して“私は主に愛されているんだ”という自信を育んでくださいました。自分に自信が持てず、まだまだ人と関わることにも不安が強い私ですが、“わたしも、あなたも愛されている”という自信をもって、人との関係の中にも主の愛が働き、祝福してくださることを信頼し、もっともっと主に頼っていきたいです。

 これからは、私自身も家族をどのように築いていけるのかまだまだ心配もありますが、神の家族として皆さんと共に歩めることをドキドキと不安になるのでなく、ワクワクと期待していきたいです。

 

 最後に、今日ここに来るまでにも、多くの方の祈りがあったことを感謝します。特に、貴重な時間を割いて再度私の学びなおしにも仕えてくださった野口先生や、ずっと心を砕き祈ってくださっていたUご夫妻やU牧場の皆様にも感謝申し上げます。 そして、それら全ての方を私に遣わしてくださって、導いてくださった主を賛美します。