音楽や文化を通してイエス様を知る M・Nさん

【教会との出会い】

 妻が30年ほど前クリスチャンになり、教会まで送り迎えをしたことから始まります。初めて礼拝に参加したのは息子の洗礼式で,生バンドの賛美とオルガンに感激しました。

 9年ほど前からT牧場へ仲間入りし、誕生会やゴルフに参加するようになりました。近所の飲み友達がたくさんいますが、紳士的で学もある違うタイプの方々がおられ、友達感覚のお付き合いができればいいなという感じでした。また、クリスマスや特別に招かれた先生によるメッセージが聞けるときは礼拝に行くようなり,2年程前、65歳で会社人間を卒業したころからはたびたび礼拝に行くようになりました

 

【音楽とキリスト教】

 趣味は歴史散策やゴルフ、映画鑑賞とかいろいろあるんですが、今日は音楽の話をします。好みはロック・ブルースとジャズ、洋楽専門で日本のモノは興味がありません。

 中学生の頃ラジオを聞きながらカセットテープにヒット曲を録音したり、フォークギターを買ってもらってからは音楽雑誌を見ながらまねごとをしたりしていました。ちょうど1970年ビートルズが”LET IT BE”をリリースした頃です。ロック革命期を現役で聞いていました。

 高校の時エレキギターを買い、バンドを作って活動していました。レパートリーは沢田研二がメンバーだったタイガースなどのグループサウンズがメインで、へたくそでもカタチになっていました。学園祭や市民会館のフェスティバルでライブもやっていました。そんな時、他のバンドが自分の好きなロックグループ(ディープパープル・ピンクフロイド、クリーム)を演奏していて、テクニックもありめちゃ上手くコピーしていて、「もーこりゃへたはやめや」とバンド活動はやめました。そんなごく普通の音楽好きの少年でした。

 その後、20歳頃にスタジオミュージシャンと友達になったことがきっかけで、音楽の聴き方も変わりはじめたのを覚えています。そのギタリストの口癖が「ロックはゴスペル・ブルースが基本やで。黒人のこと歴史のこと知らんとあかんで」でした。その頃はレコードを借りたり、ブルースやジャズの歴史本を読んだりしていました。ロック喫茶やJAZZ喫茶に頻繁通いました。コーヒー1杯で2時間くらい妄想にふけ、とにかく聴きまくっていました。

 

 最近、毎日チェックしている音楽情報サイトでクリンストン・イングラムという若手ブルースギタリストNO1の記事を見つけました。雑誌のインタビューでこんなことを言っていました。

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「多くの人は無知であり、ブルースの本当の意味を理解していない。音楽がなぜ先人たちによって作られたのか、その理由を理解する必要がある。この音楽は、痛みや苦しみから生まれたものだと理解しなければならないんだ。

 ギタリストたちは、フレーズ、リフ、ソロ、そしてこの分野の幅広い音楽的な仕組みといったブルースのコツを学ぶことには熱心ですが、音楽そのものの源流である奴隷制度や人種抑圧の歴史を研究することを怠っている」

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 24歳でよう言うわと思いましたが、これは神への賛美だと気づきました。先ほどのスタジオミュージシャンの友達が言っていたことを数十年たって再認識しました。私は今まで宗教には関心もなく神の存在など信じることなく過ごしてきました。今、毎日のように好きなロックを聴いていますが、ただ聴いてるだけで何を歌ってるのか、何が言いたいのか何も考えていませんでした。リズムとメロディを聴く、単なる暇つぶしでした。

 

 【神を信じる決心をしたわけ】

 聖書を勉強し、ミュージシャンの想いを自分なりに感じ、極めたいということです。

 最近ビートルズの新しい曲を調べていてたまたま見つけのが、島田裕巳という宗教学者の本です。タイトルは『ジョン・レノンはなぜ神を信じなかったのか~ロックとキリスト教』です。解説には以下のようなに書かれています。

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エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランをはじめ、アメリカにおける多くのロックミュージシャンが、自らの楽曲のなかで「神」「イエス・キリスト」「マリア」を讃えていたり、あるいは祈りを捧げたりしている。むしろその西欧社会におけるキリスト教とロックのかかわりを紐解くと、キリスト教がなければ、ロックは生まれてこなかったのではないかという見方さえもできる。

信仰を持つことによって、あるいは信仰を否定することによって、彼らの音楽はどう変化し、それはロックというジャンル全体にどう影響していったのか。宗教学者がその関係をひもとく。

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なるほど自分の探している方向のことだと思いました。

 

 先月ビートルズの最後の曲”Now and Then”がリリースされました。多くのブロガーやYou Tuberの「ジョン・レノンがビートルズ、母ジュリアにささげた歌である」という意見が多い中、あるブロガーは「この曲は、人生において重要な存在であるYOUへの愛と憧れを表現し、その人物への感謝や感情的なサポートや力への依存を歌っています」と解釈していました。(翌日に日本語訳・動画配信されている・ビートルズマニアが全世界にいて関心を持っている)なるほどと思い、私はYOUは神のことだと考えました。

 ネットサーフィンをしていて見つけたんですが、群馬のある教会の牧師先生のブログに私と同じ意見の記事を書いておられ一瞬びっくりしました。私のようなロックおやじの牧師先生のようです。聖書のことはわかりませんが、牧師先生の想いを一部紹介します。

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ビートルズ”Now and Then”のことです。ヨハネの福音書 14章6節に「私は道であり、真理であり、命なのです。(I am the way, the truth, and the life.)」とあります。この曲の冒頭の”I know it's true”とは、「イエス様が道であり命であることを真実と知っている」という意味ではないでしょうか? また、”And if I make it through, it's all because of you.(私がなんとか乗り切れたなら全てはあなたのおかげ)”とは、「道であり、真理であり、命であるイエス様のおかげでここまでやってこれた、なんとか乗り切れたと思う。」

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と書かれています。もう一つ、

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最近リリースされたローリング・ストーンズのアルバムの中に”SWEET SOUNDS OF HEAVEN”というレディー・ガガとの共演の曲があります。曲の冒頭”I hear the sweet, sweet sounds of Heaven.(天の妙たえなる調べが聞こえる)”から、すぐに聖歌91番「荒野あらのの果てに」を思い浮かべました。イエス様の降誕の時に天使たちが神を讃美して歌った曲です。この聖歌の1節はこうです。

「荒野あらのの果てに 夕日は落ちて 

 妙たえなる調べ 天あめより響く」

また、”Eat the bread, drink the wine 'Cause I'm finally, finally quenching my thirst(パンを食べ、ワインを飲む やっと、ようやく渇きを癒やせるのだから)”のように、「イエス様の御聖体と御血おんちをいただくことで生きる上での渇きが癒やされる」という「聖餐式」にまで立ち入った内容になっています。

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私もこの1行は気づきました。聖書を意識しているんですね。

 

 また、礼拝で野口先生のメッセージによるルカの福音書18章35-43節を聴いたことがあります。それは、『イエスは立ち止まって、盲人を連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、また見えるようになることです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神を崇あがめながらイエスに従っ行った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。』という内容でした。

 私の好きなギタリスト、エリック・クラプトンが1969年に結成したBlind Faithというバンド名は聖書からひっぱってきているんですね。初めて知りました。

 ビートルズのポール・マッカートニー81歳、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー80歳、エリック・クラプトン78歳と、みんな後期高齢者のおじいちゃんですが、元気にライブ活動を行っています。ポールはメキシコ・ブラジルツアーをやりましたし、ストーンズは全米ツアーを実施するそうです。本当に元気をもらっています。今アメリカでもっとも売れている、テーラー・スイフトというカントリーシンガーもそうですが、英語圏でないクリスチャンの多いメキシコ・ブラジルをツアーで回るのは伝道のように思えてなりません。

 今日はタイムリーな曲と洗礼を受ける自分の想いの話になりました。

 

 映画や音楽、文化の世界で神の存在を信じることを考えています。10年ほど前から教会に接してきましたが、神を信じることはありませんでした。が、退職し時間と余裕もでき、教会に来るようになりました。「人間は罪人である」ということをわかっていこうと思います。聖書を学んでいこうと決心しました。そして、学んでいく中で、人間はみな罪びとであり、イエス・キリストを信じることが救いに至る唯一の道であることを理解して、洗礼を受けることを決心しました。

 私にとっては、洗礼を受け、嫁さんを喜ばせたい、安心させたいということが一番の願いです。夫婦で礼拝に行く、最高の嫁孝行になると思っていいます。