今から、どうして私がクリスチャンになったのか、また、転会までの流れや、野口先生ご夫妻との学びを通しての心の変化などを、お話しさせて頂きたいと思います。
私は大学進学を機に大阪にやって来て、卒業後はそのまま大阪の会社に就職しました。
働き始めて5年ほどたった頃、主人に出会いました。しっかりしていて優しくて真面目で、今までこんな素敵な人に出会ったことがない!と思いました。そして、そんな彼が信じている神様をもっと知りたくなりました。彼は教会へと誘ってくれましたが、教会には彼の家族もいることがネックで行く気になれず、本屋でキリスト教のことが書かれている漫画本を買って読みました。
私の実家は仏教なのですが、子どもの頃から神社やお寺で仏像を拝むのは、あまりピンときていませんでした。こんな狭いところに神様が閉じ込められているわけがない!と思っていました。ただ不思議なことに、どこかに神様はいる!とも、ずっと思っていました。キリスト教の漫画本を少しずつ読んでいるうちに、キリストの復活やモーセが海を割る出来事など、半信半疑ながらも仏教よりは有りかな?と思うようになっていきました。
主人に個人伝道され、教会に行くようになり、洗礼を受けることになりました。その時は「神様とイエスキリストを信じた」つもりでいましたが、今振り返れば、それよりも、主人と結婚したい気持ちの方が強く、その為に洗礼を受けたのだと思います。
そんな感じで教会へ通うようにはなりましたが、モチベーションは低く、クリスチャンの主人に付いて仕方なく教会に行く、そんな感じでした。長男が産まれてからは、疲れがたまっているなか、毎週礼拝に行くことが億劫でたまらず、教会に行かないと決まった時は、実はすごくホッとしていました。
松原聖書教会のことは、子育て支援センターで仲良くなったママ友を通して、ベビースクールを知りました。幼稚園を運営している教会だったら、子育て世代のファミリーがたくさんいて、過ごしやすい環境に違いない!と思い、実際に来てみて大正解でした。
転会をする際に、野口先生ご夫妻が学びの時間を作ってくださいました。その中で、旧約聖書の預言が新約聖書で成就されていること、また、宗教学の先生のお話や、生物学の先生のお話を聞き、「神様は聖書に書かれている神様に違いない」と初めて確信を持ちました。
それからは、主人に付いて教会に行くのではなく、私が主体となり教会へ行く、という風に変わりました。ディボーションもする様になり、事あるごとに神様に祈るようにもなりました。このように変えられたこと、転会が無ければ有り得なかったことです。全ては神様のご計画だったのだと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
これから松原聖書教会への転会に導かれた証をさせていただきます。まずどのようにして信仰を持ったのか、これまでの信仰生活についてお話しした後、転会の経緯や与えられたみことば、転会の学びで教えられたことを分かち合いたいと思います。
私は幼い頃から母に連れられて毎週日曜日に教会に行っていました。そして、幼稚園の時に参加した教会のキャンプでイエス様の十字架と復活を信じるお祈りをしました。日曜日に友だちと遊びたい時期もありましたが、信仰生活について一切の妥協を許さない大変厳しい母でしたので、逆らうことができず、ただ従うしかありませんでした。
しかし、中学生になってからは自立した信仰となりました。自分ではどうすることもできない罪の問題がイエス様の十字架の死と復活によって解決されていること。また、神様の計り知れない大きな愛で生かされていることが自分事となりました。それは、毎週土日に教会で奉仕や集会等があり、同世代のクリスチャンと神様に仕える様々な機会を通じて、信仰が練られたからだと思います。
中学生で参加した教会主催のアメリカホームステイツアーでの経験や、人との関わりの中で成長することの大切さを実感した学生時代の影響があり、高校で英語教師として働くビジョンが与えられました。神様が道を備えてくださり、高校教員として採用された頃、結婚のために祈り始めました。そして妻と出会い、個人伝道をして神様を信じ救われ、洗礼を受けてから結婚へと導かれました。
長男が誕生し、礼拝中にじっとしておく事が難しく、家族で礼拝をささげることに困難を感じていた時、高校の同級生のKくんが松原聖書教会に集っていたことを覚えていたので、自宅から比較的通いやすいことや、高校生の時に一度来たこともあったので、家族で礼拝に参加させていただきました。
Kくんは神学生となっており、親切に教会のことを教えてくれ、N牧場に繋いでくれました。N夫妻はいつも牧場メンバーのことを気にかけ、具体的な愛の実践をしておられ、居心地の良い交わりをされているのが印象的でした。また、高校の教え子が牧場のメンバーにいて、神様の不思議な導きを感じました。
転会について祈っていた時に与えられたみことばは、箴言3章6節『あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。』 また、創世記8章でノアが箱舟から出たのは神様のことばの後であったことやIペテロ5章7節『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』が示され、継続して転会について祈りました。そして、創世記26章でイサクが井戸のことで争いになり、平安のあるレホボテへと導かれるシーンが自分たちの置かれている状況と重なり、転会の確信が与えられました。
野口牧師先生ご夫妻との学びが始まり、妻と一緒に系統立てて聖書の歴史的な流れや預言の成就、他宗教や科学との関係性について学び、教会生活について確認できたことは大変感謝なことでした。
神様から与えられている賜物を松原聖書教会のからだの一部としてどのように用いていただくのか、祈り求め、神様に共に仕えていきたいと願っています。
私はこの十月で八十八歳になりましたが、八十二年前に東大阪の教会の幼稚園に通いました。続いて小学校二年位迄、教会の日曜学校に通っていました。
それから戦争が激しくなり、終戦の翌年に父親が亡くなり、厳しい生活が続きました。五十九年前に結婚。その後、松原に引っ越し、ミッションスクール出身の妻のかねてよりの願いで、四十年程前に娘が、当時阿保にあった教会の日曜学校に行くようになり、妻も教会員とならせていただきました。
私も教会の行事に参加させていただくことが多くなり、特に、きらきら会にはよく参加して楽しませてもらいました。T牧場にも最初の頃からお邪魔し、ご馳走になりました。
この間、色々な方から学びなどを勧められましたが、私は長男のため先祖の供養のことを思ったり、日曜も仕事などある時があったりで、その気になれませんでした。
ところが、一昨年、孫の高校入試に当たり、「おじいちゃんの後輩になるのやから、祈ってや」とのことで、合格したら日曜礼拝に行こうと思っていました。そして昨年四月から日曜礼拝に参加させていただくようになりました。
これまでも色々な面で、皆様にお祈りいただいていますが、妻が昨年秋に病気で入院し、教会や牧場で皆様にお祈りいただき、命が助けられました。又、加えて、孫が「おじいちゃんがイエス様を信じられますように」と真剣に祈るのを見て、私も神を信じ救っていただこうと思いました。
学びの機会をいただき、病気の妻にイライラする事も罪と知りました。これまで聖書を開いたことがなく、キリスト教での神はイエスキリストのみと思っていましたが、三位一体の神がおられること、仏教がキリスト教の影響を受けたこと等、学ぶことが多くありました。
老年になって、物忘れがひどい私で、益々迷惑をかけることと思いますが、宜しくお願いします。
私がここ松原聖書教会に初めて来たのは、図書館で目にしたジョイファミリー文庫のポスターがきっかけでした。今から16年前、娘が1才の誕生日を迎える前のことです。
その時、一番にかけ寄って声をかけてくれたのがMさんでした。私が神様を信じ受洗の決心をしたことを一番喜んでくれたのが彼女であり、私は彼女がいたからこれまで途切れることなく教会につながってこられたと感謝しています。Mさんありがとう。
ジョイファミリー文庫にはじまり、娘はプリスクール、幼児園とお世話になり、2014年12月に洗礼を受けクリスチャンとなりました。私はといいますと、子育てセミナーやゴスペル、フラダンス教室に通わせていただき、時折礼拝にも来させていただくことはあったものの、特に神さまのことを知りたい気持ちもなく過ごしてきました。その間、学びのお声がけをして下さったことがあったのかもしれませんが、記憶にないほど関心がありませんでした。
私は、常識の枠からはみ出すことを許さず、生真面目でとてもよく働く母の元で育ってきました。今思えば、母が私のためを思って言ってくれていたことも、その時は事細かに指示されることがうっとうしくて。それなのに逆らえず、心で反抗しながら嫌々従ってきました。父はとてもおとなしい人で、母に意見することもない人でしたから、それはそれで頼りにならない父だと、尊敬できずにきました。
そんな家庭環境から抜け出したくて自由になりたくて、大学は地元に戻ることを条件に、全寮制の高校に進学し、3年間親元を離れて生活しました。ですが、卒業後に家に戻るとまた同じで、堅くて厳しい母には逆らえず、おとなしい父には苛立ち、自分の不満をぶつけていました。
結婚してからは、親と離れて暮らす分、両親に対する気持ちは落ち着きましたが、5年、10年、15年…と結婚生活も長くなってくると、今度は主人との関係が問題です。些細なもめごとが積み重なって、私の中に嫌な気持ちが溜まっていきました。
主人は「別にこんなの普通にみんな使っている」というのですが、私にとって主人に言われる言葉はきつく、突き刺さる言葉にしか聞こえなくなっていました。何かもめごとがあるたびに、自分が責められ否定されているようで、早くその時が過ぎてほしくて黙ってしまう。冷静に話し合うこともせず、うやむやに事を終わらせてきました。言いたいことがあっても言わず、自分を殻に閉じ込めてきました。主人は周りからすると、まめに気がつくいい人なのですが、私にはやさしくない。私がこんなに嫌な思いをして苦しいのは主人のせいだと、心の中で責めてきました。
自分のことだけで精一杯で余裕のない私ですから、成長し、今思春期真っ只中の娘が、迷い悩み、気持ちの持って行き場がなく喜怒哀楽をぶつけてきても、受け止めてやれない状態でした。夫婦の間もますますぎくしゃくする中で、昨年、聖書の学びをしませんかと声をかけていただきました。そんなつもりはなかったのに、なぜかその時は「はい、お願いします。」と返事をしていました。
学びの中で、牧師先生が「神様を信じるきっかけは人それぞれだ」と信仰に至った方々の話を聞かせて下さり、また数冊の本を貸して下さいました。その中の一冊がアーサー・ホーランド先生の書かれた自叙伝『不良牧師』です。この本を読んで私は神様の愛を知り、救われ、忘れられない体験をしました。
アーサー師が牧師となり、初めて新宿の交差点で「あなたは愛されている」と往き交う人々に語られた。そのひと言を読んだとき、私は涙があふれて止まらなくなりました。自分でも何が何だかわからない。けれども感情が込み上げてきて、涙があふれて止まらないのです。「あなたは愛されている」それは今、私に語られた言葉で、とにかく私は愛されているんだと感じる。うまく伝えられませんが、神様の手の中に、大きな愛に包まれていると実感する、そんな気分でした。現実は何ひとつ変わっていないのに、私自身はとても穏やかに癒され、心は清々しいんです。
「あなたは愛されている」この本に書かれていた、たったひと言がこんなにも心に響くものでしょうか。思い出すと今も心が震えます。神様はこんな私でも愛してくれていると確信せずにはいられませんでした。
このことがあって後、また主人が怒り出す事件がありました。いつもの私ならここで沈黙して萎縮するところですが、その時はそうではありませんでした。先ず、主人が何を怒っているのか話を聞きました。そのことに関しては、私はそんなつもりはなかったのですが、主人を不快にさせたなら悪かったとあやまりました。そして、これまでもそうやって怒り出すたびに言われる言葉が私にはきつく突き刺さって、嫌で、何も言えず黙ってしまっていたと、初めて自分の気持ちを話すことができました。すると、それまで激高していた主人が驚くほどすーっと落ち着いて、お互い思いを話し合うことができたのです。本当に不思議です。
私のこの話を聞いて「よかったあ、言えたんだ。」と牧師先生はおっしゃって下さり、私自身が変わってきたことを学びの中で確認したことです。だからといって、すぐに自分を出せるわけでもなく、思っていることを話すにはまだまだ勇気が要りますが、ひと言切り出せば、私の心配及ばず、案外あっさりと、主人は話を聞いてくれるものだとも感心しています。
これまでの人生で、父や母を、また主人を良く思えなかった私の罪が、神様を信じたことで許されたら、今日からは、神様があるがままの私を愛して下さったように、私も、主人、家族をありのまま受入れ愛していきたい。また、私の周りの人々をも心から愛し愛される私に生まれ変わりたい、そう思います。
自分の殻の中に閉じこもって、相手を非難し嫌っていた、イヤな自分、トゲトゲした自分、そんな私でも、愛され救われて変われるんだと、気付かせていただいたことに感謝です。
私の受洗を心から喜んで祝福して下さったF牧場はじめ、多くのみなさま、ありがとうございます。そして半年以上もの長きにわたり聖書の学びをして導いて下さった牧師先生、最後の最後に力強く背中を押して下さった幸子先生。本当にありがとうございました。みなさまの愛に心から感謝申し上げます。やっと一歩踏み出したばかりの未熟者です。どうぞこれからもお導き下さい。よろしくお願い致します。
最後に、私の元に生まれてきてくれて、今日の日を心待ちにしてくれていたであろう娘と、縁あって夫婦となり快く今日を迎えさせてくれた主人に感謝して、私の受洗の証といたします。ありがとうございました。
私が初めて教会へ行ったのは、小学校3年生のころです。Mさんに日曜学校へ誘ってもらったのがきっかけでした。日曜学校でどんな学びをしたのか、ほとんど記憶がないのですが、Mさんは神様のことをいろいろ教えてくれました。中でも他人に対してネガティブな感情を抱くことだけでも罪になるんだ、という事を聞いたときは、幼心にもショックで、これは大人になってもずっと心の中に現れてきていました。(ほとんど見て見ぬふりでしたが)
Mさんの持つ聖書がうらやましくて、聖書を買ってほしいと母にお願いすると、分不相応な大きなのを買ってくれました。倹約家の母がすんなり高額な聖書を買うお金をくれたことがかなり衝撃だったのか、今でも鮮明に覚えています。
しかし、6年生くらいになるとだんだん教会へ行かなくなってきました。自分の家とMさんの家の違いを意識せずにいられなくなってきていたのです。私の両親は共働きで家の中はいつも散らかっていて、お兄ちゃんや妹がいてバタバタしていて余裕がなくて…。でもMさんの家はきれいなママがいて、かっこいいパパがいてお家は外国の家みたいにきれいで、二人の上品なお祖母ちゃんがいて。みんながMさんを大事にしていて…。Mさんの優雅な暮らしをうらやむ気持ちが少しずつ自分のコンプレックスになっていったのだと思います。そのうえ教会では私の知らないことをたくさん知っているMさんは洗礼も受ける…自分にとって教会が居心地の悪い場所になっていきました。私は、小さいころから負けず嫌いで勝気で、自分のこういう弱いところを他人に見せることをしなかったように思います。私とMさんは姉妹のような仲ですが、このことはMさんにも言ったことはありませんでした。
私が再び教会へ行こうと思ったのは、今から3年前、離婚がきっかけでした。「離婚」は自分の今までの罪に対する神様からの罰だとも感じていて、傷つき自分にも絶望していました。そんなとき、Mさんは私の心を支えてくれました。離婚の話が難航しているときには「自分で行かれへんかったら、私が話しにいこうか?」とも言ってくれました。なぜ、Mさんは私にそこまでしてくれるのか、なんで、必死になって私のそばにいてくれるんやろうって考えたとき、Mさんの信仰から生まれるものなんだろうなあ、ということを初めて確信しました。Mさんが40数年通っている教会ってやっぱりすごいところやん!私も教会へ行きたい、自分を変えたい、と強く思いました。
2017年の4月から礼拝へ行き始めました。F牧場のNさんは初対面で「Mさんの親友は私の親友や」と言ってくれました。幸子先生との学びもスタートさせていただいたのですが、私は看護学校へ通いだしたのも同時期で、週4日の学校と夜勤バイトでヘロヘロになっていました。そのうえ課題や試験、実習が始まり、予想をはるかに超えて忙しくなってきたのです。学びも主日礼拝も牧場の集いもおろそかになっていきました。教会へ行けないことを後ろめたく思いながらも、忙しいのを理由に自分を正当化しいていましたが、ある日Nさんに「礼拝来るって言ってたのに全然けーへんやん、なんでなん?」と言われ、率直なNさんの言葉にガツンと殴られたような衝撃。その私の横顔を見てMさんはニコニコしながらそっと、「来れるときだけでも…隔週でもええからおいでな」と言ってくれました。
それからは「やっぱり、自分で行くって言ってんから、約束は守らなあかんな」と思い直し、夜勤明けの日曜日も礼拝へ行きました。眠かったけど、寝てしまったこともありましたけど、やはり礼拝に行くと元気になり、行ってよかったと思えました。必要なときに必要なことを言ってくれるNさん、いつもやさしくありのままを受け入れてくれるMさんに心から感謝しました。
今年の4月から学びを再スタートさせていただきました。野口先生と幸子先生との学びは世間話や何気ない話から始まりますが、お二人の暖かな眼差しは自分の内に秘めているものや忘れかけていたこと、潜在意識として普段はなかなか感じられないことまで引き出してくださいました。学びが終わるととても心が軽くなっていました。いつもルンルンで元気いっぱいになって帰りました。そしてだんだんと日常にも心の変化が現れてきました。
そのころ父と折り合いが悪く、自分は父から嫌われている、父が怖い、と完全に委縮し毎日父の言動にびくついていました。なんとかコミュニケーションをとろうとがんばってみてもうまくいかず、空回りの日々。母も娘も暗い表情になっていました。しかし、学びの中で野口先生から「自分ではどうしようもない罪も、神様はすべてわかっておられて許してくださっているんだよ」と言われたことがすっと心に入ってきました。
父に向けていた冷たい視線、父を傷つけていた何気ない言葉、父のことを思っているつもりが自尊心をずたずたにしていた自分が見えてきました。それが父を怒らせている原因だとわかっているのに自分をごまかして、全然向き合えなくて父のせいにしていた自分も見えてきました。「神様の許し」を聞いて、ほんとに弱い情けない、これまで親に心配ばかりかけてきた罪だらけの私を許してくれていると感じた瞬間、ものすごく気持ちが楽になっていきました。私は許してほしかったんだなあ、と涙があふれてきました。自分は神様から罰せられるべき人間という思いから急に解放されて、だめな自分、弱い自分も認めていけるような気持ちになりました。すると、父の前でも自然と明るくなり、無理な元気ではなく自然に元気が作られるようになりました。するとほどなくして、父のイライラした様子も少なくなり、私への態度も穏やかになってきたのです。
野口先生から受洗のお話をいただいたとき、正直「え、うそでしょ」と思いました。「完全に信じたわけでもないのに、こんな感じでいいの?」と。でもここからがスタートでこれから学んでいけばいいんだ、と野口先生と幸子先生のニコニコした顔を見て思いました。でもやっぱり不安で、いつでも撤回できるように「まだ誰にも言わんとこ」と思っていたのですが、すぐにMさんから「うれしくて泣いてます」メール。Nさんから「鳥肌立ってます」メール…。次々と祝福のメールが届きました。次の日教会に行くと牧場のメンバーたちから「すごいやん!」と言われ、なんもすごくない~と逃げ出したい気持ちでしたが、その反面、皆さんが喜んでくれているのがすごくうれしくて、そして素直にみんなからの祝福を受けよう、不思議に私はその気になっていきました。これもご聖霊様の働きということを教えていただきました。
Mさんに出会ってから30数年、ずっと私のことを祈ってくれていたこと、そしてお母さんが買ってくれた、どこへ行くときも持って行きましたが、決して開くことはなかった聖書、いつも私たち兄弟を見守ってくださり、母を助けてくれていたMさんのママ、たくさんの種がまかれていたことを今感じています。受洗を不安に思う私に「そんなもんやで」と温かく迎え入れてくださったF牧場の方々、教会の方々、野口先生ご夫妻、お祈りありがとうございました。そして、「今日は絶対にママの証を聞きに行く」と言ってくれた娘、こんな私を娘とし辛抱強く今も支え助けてくれているお母さんお父さんに感謝します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から