家の教会の目指すのは新約教会の回復

  この度、「日本家の教会ミニストリー」を正式な団体として立ち上げるこ とを決め、会報を季刊として発行することになり、第一回目のニュースレタ ーに、私の巻頭言を載せました。ご覧いただき、家の教会の働きの祝福の ためにお祈りいただければ幸いです。

 

 以下、巻頭言をご覧下さい。

 

「家の教会」の目指すのは新約教会の回復

  「家の教会」とは、信徒が指導者となり、信徒の家で集まる教会を言い ます。新約聖書を読んでみると、当時の教会の姿が「家の教会」であった ことを見出します。

   初代教会では、信徒が牧師のように献身し、自分の家で共に集まり、牧 会したようです。「家の教会」を牧会していた信徒の良い例が、プリスカとア キラです。彼らは、パウロと同じく天幕作りの仕事をしていました。彼らのこ とをパウロはこう言っています。「キリスト・イエスにある私の同労者、プリス カとアキラによろしく伝えてください。また彼らの家の教会によろしく伝え て下さい」(ローマ 163-5)。

   この箇所は、プリスカとアキラの家で、この夫婦をリーダーとして「家の教 会」が行われていたことが分かります。またパウロは、コロサイの教会に手 紙を送りながら次のように言っています。「どうか、ラオディキアの兄弟たち に、またニンパと彼女の家にある教会に、よろしく伝えてください」(コロサイ 415)。

   コロサイではニンパという姉妹の家で集まる「家の教会」があったようで す。ピレモンに手紙を書きながらパウロは言います。「キリスト・イエスの囚 人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、姉妹アッピ ア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ」(ピレモン 11-2)。ピレモンの家でも「家の教会」として集っていました。

 

   このような箇所を通して初代教会の姿が分かります。各都市に教会がありました。でもそれは、家々で集まる多くの「家の教会」の集合体だったようです。

   現代の「家の教会」のリーダーの一人であるチェ・ヨンギ師は言います。

「『家の教会』は、弟子たちが作っていった一時的な教会の形ではなく、イ エス様が目指されていた教会そのものであり、イエス様が願われた教会と は、家族の共同体、『家の教会』であった。」

    私は、初代教会の「家の教会」は、当時会堂もなく迫害があり、落ち着 いて信仰生活を送れるような状況ではなかったので、信徒が家で集まると いうスタイルになったと思っていました。しかし、これがイエス様の望んでお られる教会の姿であると知り、感動しました。

    教会の存在目的と言われる「宣教と弟子化」においても、「家の教会」 は、用いられます。日本人にとって、教会の敷居は高く、余程のことがない 限り自分から教会を訪れることはありません。ところが、信徒の家での食事 と交わりなら、グンと参加しやすくなります。そこで信頼関係を築くことが出 来れば、集いのベースにある聖書と信仰を証しすることが容易になります。

    また「弟子化」という面においても、「家の教会」に集うメンバーが、互い に愛し合い、持てる賜物を発揮して、未信者に仕えることを通し、「弟子化」 が進んで行きます。

   

   「家の教会」の目指すのは、新約教会の回復です。