2019年赤ちゃんの名前

 年末恒例の「今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング」が発表になりました。明治安田生命によれば、男の子の第一位は「蓮」くん。女の子は「凛」ちゃんでした。以下男の子は「陽翔」、「新」、「湊」、「蒼」と続き、女の子は「陽葵」、「結愛」、「杏」、「紬」でした。

 

 昭和生まれの人間にとって「子」の付く名前が、100位までにほとんどないのは寂しい限り。昔、クラスの名簿には「子」の付く名がずらりと並んでいました。

 英文学者の外山滋比古(とやましげひこ)さんが、ある時、未知のアメリカ人から、女性に付ける「Miss」を冠した手紙が届いたそうです。理由は直ぐ分かりました。この人は、日本の知識があり、外山氏の名が「KO」で終わるから女性と判断したようです。

 

 三浦綾子さんの夫であった三浦光世さんは、和歌に親しんでおり、和歌を主宰する人から、病床にあった堀田綾子さんをお見舞いに行ってほしいと頼まれたそうです。それは、光世さんという名から女性と判断し、同性の人なら安心と依頼されたとのことでした。このことがきっかけとなり、お二人は結ばれることになるのですから、主は誤解さえも用いられる粋な方です。

 

 子の名前は、親や関係者が、その人生に幸多かれと思いを込めて付けるものです。だから親の願いや個性、同時に時代の流行も表われます。

 

 旧約聖書の預言の焦点は救い主の誕生であり、イスラエルの人々は、預言の成就を今か今かと待ちわびていました。

  その救い主の誕生の知らせをヨセフにもたらした御使いは、「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を生みます。その名をイエスと付けなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救って下さる方です」(マタイ1:20~22)と言いました。

  イエスという名は、ヨセフでもマリヤでもなく、神ご自身が名付け親でした。この場合は、まさに「名は体を表す」でした。というのは「イエス」は、「主は救い」という意味のギリシャ語であり、ヘブル語で発音するならば「ヨシュア」となります。約束の地カナンに民を導いたヨシュアです。同様に救い主イエスは、私たちを罪から救い、約束の地、天の御国に入れて下さるお方だからです。

  もう一つ驚くのは、この「イエス」という名が、当時それほど珍しい名ではなかったということです。現代的に考えたら、出来るだけオリジナルな、ユニークな名を付け、他の子と差別化を図りたいのが親心でしょう。ところが、救い主の名がありふれた名であったということは、どこにでもあるような名前を持つ人にとって親近感を感じ、自信を持つことが出来るのではないでしょうか。

 

 私の苗字のことですが、「野口」という名が、全国で91位、同姓の人がなんと11万近くいるというのです。我が家に先祖書というものがあり、ご先祖は「和気清麻呂」と書いてあります(この書が本物かどうか全く確証はありませんが)。それならご先祖の「和気」なら、ちょっと貴族っぽくていいのにな、などと思っていました。ところが、先ほどの理由で、野口家に生まれさせたのは主であるなら、この苗字は主が先祖を通して与えたものであり、下の名も親を通して主が与えて下さったと受け入れることが出来るようになりました。

 

 念のため、イエス・キリストの「イエス」の意味は上記の通りですが、「キリスト」は「油注がれた者」の意味であり、旧約時代 王・祭司・預言者の三つの職は、格別に神様の祝福がないと出来ないとされ、祝福のしるしであるオリーブ油が就任式の時に注がれました。そこから、救い主はお一人で、王であり、祭司であり預言者であるという、一人で神聖三職を兼ねる素晴らしいお方という理解が生まれ、救い主を「キリスト」と呼ぶようになりました。